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2004年6月定例議会 「教育基本法の早期改正を求める意見書」反対討論 2004年6月

 首相の私的諮問機関であった教育改革国民会議が「教育基本法の見直しに取り組む必要がある」と報告書を提出したのは2000年12月のことでした。これを受けて小泉内閣の当時の遠山文部科学大臣は、2001年11月、中央教育審議会に「新しい時代にふさわしい教育基本法の在り方について」審議するよう諮問しました。中教審に「教育基本法の改定について」諮問されたのは教育基本法制定以来、これが初めてです。教育基本法はいうまでもなく、戦前、戦中の天皇制国家主義的、軍国主義的教育を否定し、日本国憲法の精神をふまえ、教育の根本理念を示した基本法であり、それは憲法と一体を成すものです。その憲法を現在、国会に設置された憲法調査会と小泉内閣によって「改正」する動きが強められていますが、教育基本法の改正は憲法改正そのものと考えます。
 中教審は文部科学大臣の諮問を受けて、教育基本法見直しを重点的に審議するための基本問題部会を設置し、中教審総会は2002年1月から、基本間題部会は2月からそれぞれ月2回の会合を開き、基本法見直しの作業を進め昨年3月中教審の最終答申が行われました。

自民党のみなさん、教育基本法を読んだことがありますか。
 教育基本法は、教育勅語に基づいた戦前の教育を廃し、憲法の理想を実現するために、1947年3月に制定されました。前文では「ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するために、この法律を制定する」と謳い、さらに、「憲法の理想は教育の力に待つべきもの」と期待し、憲法の理念を、教育の理念として掲げています。これが準憲法的や憲法の補完法といわれる所以であり、具体的な政策の実現を目的とした他の法律と異なる理念法として位置づけられています。憲法で、教育を受ける権利を定め、教育基本法では、義務教育の無償、機会均等、国及び地方自治体の責務を規定しており、国民の教育への権利の基盤として、戦後の教育改革がすすめられてきました。

 教育基本法は確かに制定から50年経ちますが文部科学省の教育行政はまさに基本法の理念に反対する施策を行ってきました。その誤りが多<の矛盾や教育の荒廃をもたらしたといえます。今までに出された中教審、臨教審などの答申をみても、それまでの教育行政、施策についての反省や総括などは全くありません。今こそ50年間の教育行政について基本法の理念に沿って徹底した論議と検討が必要ではないでしょうか。そこに目をつぶって、基本法が古くなったから新しくするといっても、教育は良くなるはずもなく、改正には別の意図があるとしか言いようがありません。

 日本政府が半世紀にわたって憲法改正・再軍備強化を企図してきたのは周知のことです。最近、その動きがとくに激しくなってきています。すなわち1996年の日米共同声明に始まり、97年の新日米防衛協力のための指針(新ガイドライン)、99年の周辺事態法などの関連法、2001年のテロ特措法、武力攻撃事態対処法などの有事法制化と続きます。これはもう戦争法制そのものです。かつて専守防衛と称した自衛権が、いまや集団的自衛権の行使となっています。集団的自衛権の行使は戦争への道そのものです。
 これら一連の動きで国民に求められているものは、基本的人権を抑えてでも国家に対する忠誠を尽くすという心です。このようないわゆる「愛国心」をどのように育てるかを、支配権力者は、早い時期から大きな課題としてきました。それを教育において実現させるために教育基本法の改正があるのは明らかです。自衛隊はすでに戦争に参加しています。今後本格的に参加するためには「国を愛する心」「国のために一身を捧げる行為」を国民に求めなければならない。99年に成立した「国旗・国歌」法は、それによって日本人の結集を図るとともに、反対するものを排除するというねらいをもっていることも東京都教育委員会の教職員処分の動きなどで明らかになっています。それをさらにすすめて、学校教育全体の中で「日本の伝統と文化を尊重し継承」して祖国精神を涵養し、社会的奉仕活動によって祖国(国家)に尽くすという習慣を育てようとしているのです。教育基本法改正は、戦争への道です。そして憲法改正のために、その前段として教育基本法改正が必要となっているのです。

 国民の声よりも、政治主導で、見直し論議が進められているこの教育基本法は、制定直後から改正の動きがありましたが、いずれも国民の理解を得られず政治日程に上りませんでした。しかし、文部科学省は、戦後半世紀を経た今日、「新しい時代にふさわしい教育基本法」を理由に、その見直しを中央教育審議会に諮問。これは、市場原理による競争の激化やグローバル化がすすむなかで希薄化する国民的なアイデンティティーをつくりあげる必要性に迫られたものであります。しかし、そこで強調されている、「たくましい日本人」、「国や郷土を愛する心」、「伝統文化の尊重」、「新しい公共」などは、憲法、教育基本法の理念に挑戦する内容のものとなっています。

 教育実践が求められている学校現場では、憲法、教育基本法がめざす教育として、平和や民主主義、人権を確立する教育、教育の機会均等をめざすなど、教育研究活動のなかで具体化をすすめてきました。また、総合学習のなかで地域の文化や先人の知恵に学び伝える活動や、平和や福祉、多文化への理解、被差別部落、障害、性などによる差別への認識を深め、共生を目指す実践、さらに、地域や保護者との連携にもとりくんできています。しかし、不登校・いじめ・暴力などの実態や、学ぶ意欲をもてない子ども達が増加している状況は、今の教育に社会的なゆがみがそのまま持ち込まれ、多くの課題が解決されないまま過度のストレスにさらされていることを示すものであります。中教審では、教育基本法が問題の原因であるかのような議論が行われていますが、教育基本法が生かされてこなかったことにこそ問題があり、憲法、教育基本法を地域や子どもの生活に息づかせることこそが現在の教育改革に求められています。

 教育が国家によって統制される時、国民もまた統制されてきたという歴史を私たちは持っています。そして国家は一人ひとりの民衆を守らないということも歴史で明らかになっています。

 最後に、国家を守るために民衆が犠牲になるのではなく、一人ひとりを守るために国家があるということを強く訴えます。

 教育基本法の改正に反対の立場を明らかにし討論を終わります。


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