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2004年6月定例議会 「教育基本法の早期改正を求める意見書」反対討論 2004年6月 |
首相の私的諮問機関であった教育改革国民会議が「教育基本法の見直しに取り組む必要がある」と報告書を提出したのは2000年12月のことでした。これを受けて小泉内閣の当時の遠山文部科学大臣は、2001年11月、中央教育審議会に「新しい時代にふさわしい教育基本法の在り方について」審議するよう諮問しました。中教審に「教育基本法の改定について」諮問されたのは教育基本法制定以来、これが初めてです。教育基本法はいうまでもなく、戦前、戦中の天皇制国家主義的、軍国主義的教育を否定し、日本国憲法の精神をふまえ、教育の根本理念を示した基本法であり、それは憲法と一体を成すものです。その憲法を現在、国会に設置された憲法調査会と小泉内閣によって「改正」する動きが強められていますが、教育基本法の改正は憲法改正そのものと考えます。
自民党のみなさん、教育基本法を読んだことがありますか。 教育基本法は確かに制定から50年経ちますが文部科学省の教育行政はまさに基本法の理念に反対する施策を行ってきました。その誤りが多<の矛盾や教育の荒廃をもたらしたといえます。今までに出された中教審、臨教審などの答申をみても、それまでの教育行政、施策についての反省や総括などは全くありません。今こそ50年間の教育行政について基本法の理念に沿って徹底した論議と検討が必要ではないでしょうか。そこに目をつぶって、基本法が古くなったから新しくするといっても、教育は良くなるはずもなく、改正には別の意図があるとしか言いようがありません。
日本政府が半世紀にわたって憲法改正・再軍備強化を企図してきたのは周知のことです。最近、その動きがとくに激しくなってきています。すなわち1996年の日米共同声明に始まり、97年の新日米防衛協力のための指針(新ガイドライン)、99年の周辺事態法などの関連法、2001年のテロ特措法、武力攻撃事態対処法などの有事法制化と続きます。これはもう戦争法制そのものです。かつて専守防衛と称した自衛権が、いまや集団的自衛権の行使となっています。集団的自衛権の行使は戦争への道そのものです。 国民の声よりも、政治主導で、見直し論議が進められているこの教育基本法は、制定直後から改正の動きがありましたが、いずれも国民の理解を得られず政治日程に上りませんでした。しかし、文部科学省は、戦後半世紀を経た今日、「新しい時代にふさわしい教育基本法」を理由に、その見直しを中央教育審議会に諮問。これは、市場原理による競争の激化やグローバル化がすすむなかで希薄化する国民的なアイデンティティーをつくりあげる必要性に迫られたものであります。しかし、そこで強調されている、「たくましい日本人」、「国や郷土を愛する心」、「伝統文化の尊重」、「新しい公共」などは、憲法、教育基本法の理念に挑戦する内容のものとなっています。 教育実践が求められている学校現場では、憲法、教育基本法がめざす教育として、平和や民主主義、人権を確立する教育、教育の機会均等をめざすなど、教育研究活動のなかで具体化をすすめてきました。また、総合学習のなかで地域の文化や先人の知恵に学び伝える活動や、平和や福祉、多文化への理解、被差別部落、障害、性などによる差別への認識を深め、共生を目指す実践、さらに、地域や保護者との連携にもとりくんできています。しかし、不登校・いじめ・暴力などの実態や、学ぶ意欲をもてない子ども達が増加している状況は、今の教育に社会的なゆがみがそのまま持ち込まれ、多くの課題が解決されないまま過度のストレスにさらされていることを示すものであります。中教審では、教育基本法が問題の原因であるかのような議論が行われていますが、教育基本法が生かされてこなかったことにこそ問題があり、憲法、教育基本法を地域や子どもの生活に息づかせることこそが現在の教育改革に求められています。 教育が国家によって統制される時、国民もまた統制されてきたという歴史を私たちは持っています。そして国家は一人ひとりの民衆を守らないということも歴史で明らかになっています。 最後に、国家を守るために民衆が犠牲になるのではなく、一人ひとりを守るために国家があるということを強く訴えます。 教育基本法の改正に反対の立場を明らかにし討論を終わります。 |
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